はじめに
このブログはグスクみちの別館です。
興味のある方はこちらもご覧ください。
石積みの高さは僅かですが、平場を囲むように存在し意外を範囲は広いです。
このグスクの三代目もしくは四代目の主と云われている護佐丸は1406年の北山滅亡後、今帰仁按司の子孫であることから北山監守として今帰仁グスクで北山統治を行ないます。
その頃から座喜味グスク築城を行っており、1422年に尚忠が北山監守に任じられると座喜味グスクに移ったとされています。
座喜味グスク築城に際してはこのグスクから座喜味へ石を運んだとされていますが、現在このグスクにある石と座喜味グスクの石では大きさが異なります。
このことからグスクの別の場所から運んだか、現在の石積みが後世のものということも考えられそうです。
護佐丸父祖の墓は護佐丸の父まで二代、もしくは三代の山田按司の墓と言われています。
山田グスクを築いた山田按司(読谷山按司)は怕尼芝に滅ぼされたと云われている今帰仁按司の子である、伊波按司(今帰仁子)の五男とされていれています。
一族の仇敵とも言える北山への前線拠点として戦に備えていたのかも知れません。
瀬名波グスク南側にあるウグヮンと呼ばれる御嶽。
かつては鳥居や石堂があったものの戦時に破壊されたのだそうです。
グスクそのものは別名カクリグスクとも呼ばれていますが、拝みの対象になっていること以外は詳細不明です。
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2010年10月06日
石積み
石積みの高さは僅かですが、平場を囲むように存在し意外を範囲は広いです。
このグスクの三代目もしくは四代目の主と云われている護佐丸は1406年の北山滅亡後、今帰仁按司の子孫であることから北山監守として今帰仁グスクで北山統治を行ないます。
その頃から座喜味グスク築城を行っており、1422年に尚忠が北山監守に任じられると座喜味グスクに移ったとされています。
座喜味グスク築城に際してはこのグスクから座喜味へ石を運んだとされていますが、現在このグスクにある石と座喜味グスクの石では大きさが異なります。
このことからグスクの別の場所から運んだか、現在の石積みが後世のものということも考えられそうです。
2010年09月17日
護佐丸父祖の墓
護佐丸父祖の墓は護佐丸の父まで二代、もしくは三代の山田按司の墓と言われています。
山田グスクを築いた山田按司(読谷山按司)は怕尼芝に滅ぼされたと云われている今帰仁按司の子である、伊波按司(今帰仁子)の五男とされていれています。
一族の仇敵とも言える北山への前線拠点として戦に備えていたのかも知れません。
2010年09月06日
御嶽
瀬名波グスク南側にあるウグヮンと呼ばれる御嶽。
かつては鳥居や石堂があったものの戦時に破壊されたのだそうです。
グスクそのものは別名カクリグスクとも呼ばれていますが、拝みの対象になっていること以外は詳細不明です。