はじめに
このブログはグスクみちの別館です。
興味のある方はこちらもご覧ください。

タカヤマグスク頂上部にある拝所。
付近からは長浜ダムを見下ろすことができます。
このグスクの詳細は分かっていませんが、グスク西側には三基の古墓があり、それは国頭方面より移動させられた按司の墓と伝えられているようです。

座喜味グスク主郭を城壁の上から見たもの。
このグスクは15世紀初期に山田グスクの按司だった護佐丸によって築かれたと言われています。
山田グスクから座喜味グスクに移った護佐丸ですが、移った後程なくして尚泰久王の命により中城グスクに移ることになり、その後護佐丸・阿麻和利の乱で自害に追い込まれることになります。
護佐丸が移ったあとの座喜味グスクには座喜味按司が居したと云われているようですが、詳細は分かりません。
しかし護佐丸の中城グスクが攻められると救援の軍を派遣しようとしたが間に合わなかったとも云われているようです。

グスクがあったとされる岩山の上にて。
全体的に雑草が茂っていて全貌は分かりませんでしたが、遺構などはないと思われます。
規模から考えて住居程度と考えられます。
グスクの詳細は分かっていませんが、中北山の三代目今帰仁按司が家臣の本部大主によって殺害された際に嫡子の丘春が落ち延びたのがこのグスクと云われています。
丘春は18年間このグスクで機を伺い、やがて今帰仁グスクを奪還して按司となったと云われています。

ほとんど跡形が残っていないグスクにある按司墓。
南側の古墓などを除くと戦後に工事などにより破壊された模様です。
このグスクを築いたとされる大湾按司は伊波グスクの伊覇按司の三男と云われています。
グスクも屋良グスクとともに対北山の拠点として機能したと思われます。

主郭も整備され、かつての面影は感じられません。
このグスクを築いたのは安慶名大川按司の次男屋良大川按司と云われています。
安慶名大川按司によって派遣されグスクを築いて北山に備えたとされており、北にある大湾のウフグスクとともに付近を守る拠点として機能していたようです。
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2010年08月20日
拝所
タカヤマグスク頂上部にある拝所。
付近からは長浜ダムを見下ろすことができます。
このグスクの詳細は分かっていませんが、グスク西側には三基の古墓があり、それは国頭方面より移動させられた按司の墓と伝えられているようです。
2010年08月13日
城壁上から見た主郭
座喜味グスク主郭を城壁の上から見たもの。
このグスクは15世紀初期に山田グスクの按司だった護佐丸によって築かれたと言われています。
山田グスクから座喜味グスクに移った護佐丸ですが、移った後程なくして尚泰久王の命により中城グスクに移ることになり、その後護佐丸・阿麻和利の乱で自害に追い込まれることになります。
護佐丸が移ったあとの座喜味グスクには座喜味按司が居したと云われているようですが、詳細は分かりません。
しかし護佐丸の中城グスクが攻められると救援の軍を派遣しようとしたが間に合わなかったとも云われているようです。
2010年07月26日
グスク上部

グスクがあったとされる岩山の上にて。
全体的に雑草が茂っていて全貌は分かりませんでしたが、遺構などはないと思われます。
規模から考えて住居程度と考えられます。
グスクの詳細は分かっていませんが、中北山の三代目今帰仁按司が家臣の本部大主によって殺害された際に嫡子の丘春が落ち延びたのがこのグスクと云われています。
丘春は18年間このグスクで機を伺い、やがて今帰仁グスクを奪還して按司となったと云われています。
2010年07月19日
按司墓

ほとんど跡形が残っていないグスクにある按司墓。
南側の古墓などを除くと戦後に工事などにより破壊された模様です。
このグスクを築いたとされる大湾按司は伊波グスクの伊覇按司の三男と云われています。
グスクも屋良グスクとともに対北山の拠点として機能したと思われます。
2010年07月09日
主郭跡

主郭も整備され、かつての面影は感じられません。
このグスクを築いたのは安慶名大川按司の次男屋良大川按司と云われています。
安慶名大川按司によって派遣されグスクを築いて北山に備えたとされており、北にある大湾のウフグスクとともに付近を守る拠点として機能していたようです。